ふたつの重い“言葉”
6月も終わろうとしていますが、今月は2つの重い“言葉”にであいました。
ひとつは、目黒区で虐待死した5歳の結愛ちゃんの残した言葉です。
暗く寒い部屋で朝4時に起きて覚えたひらがなでノートに書きつづった言葉です。
この言葉がなければ虐待死の実情はわかりませんでしたが、必死になって覚えた言葉で自分の悲惨な状況を伝えなけれならなかったとはあまりにも非情です。
もうひとつは23日の沖縄慰霊祭で自作の詩を読み上げた中学3年生相良倫子さんの「平和の詩」です。
曾祖母から聞いた話を基に推敲に推敲を重ねたであろう言葉が連なっていました。
準備してあった原稿に目を落とすことなく、左右2本のマイクに顔を向けてまっすぐ前を見据えて7分強の間よどみなく謳いあげました。
その詩は 生きる から始まります。
後半の一節です。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦争という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、当たり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
全文はこちらです。