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第五福竜丸

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1954年3月1日マグロはえ縄漁船・第五福竜丸はアメリカがビキニ環礁でおこなった水爆実験に遭遇し死の灰を浴びました。

 

1959年に作られた映画「第五福竜丸」(新藤兼人監督)を藤沢市のエコストアパパラギ2階で見てきました。

 

「第五福竜丸」については漠然としたことしか知りませんでしたので、新たになったことが多々ありました。
・乗組員が23人だったこと(展示された写真を見て10人ぐらいかと思っていました)
・2週間後に焼津に戻った乗組員全員の顔と体が真っ黒だったこと
・死の灰を浴びた時にスパイと間違えられると思って無線で知らせなかったこと
・半年後に東京の病院で亡くなった無線長が逝去され、遺骨とともに焼津に帰る家族に日本中の悲しみの目がそそがれたこと
・実験に使われた水爆は広島原爆の一千倍の爆発力だったこと

 

第五福竜丸は現在江東区の夢の島公園にある「都立第五福竜丸展示館」展示されています。