一週間ほど前に新聞で“米騒動”に関してのコラムがあって、それを読むと私のイメージとは少し違っていたので教科書にはどのように書かれているか調べていました。
その前に復習です。
米騒動とは、1918年に富山県の魚津の女性たちが米の安売りを求めて起こした騒動で、その後全国の都市に広がった。米価が高騰した原因はシベリア出兵に向けての米の需要増を見越して、一部の商人たちが米を買い占めたことによる。というのがいままでの私の認識で、騒動とあるので主婦といえども激しい行動をイメージしていました。
教室にある3冊の教科書を比べてみました。
新しい社会歴史(東京書籍 大和市の公立中学で使用している教科書)
しかし、好況で物価が上がったために、民衆の生活はくるしくなり、さらに1918年、シベリア出兵を見越した米の買いしめから、米の値段が大幅に上がると、米の安売りを求める運動(米騒動)が全国に広がりました。藩閥の寺内正毅内閣は米騒動によって退陣すると、原敬が内閣を組織しました。
*欄外に当時の新聞と名古屋での騒動の絵があり、1918年富山県魚津町(現魚津市)で始まった騒動は新聞報道を通して全国の都市に広がったとの説明があります。
新しい日本の歴史(育鵬社)
1918年、大戦景気による米需要の拡大と、シベリア出兵に向けての米の値上がりを予測した商人らによる米の買い占めによって、米価ははね上がりました。そうしたなか、富山県で女性たちが米の安価な販売を米問屋に求める運動をおこしました(米騒動)。
*欄外には米価のグラフがあります。
ともに学ぶ人間の歴史(学び舎 中学高校の元教師が作った教科書)
1918年7月、富山県東水橋町(富山市)の港で、荷を運ぶ仕事をする女性たちが、山と積まれた米俵を前に、考え込んでいました。米はたくさんあるのに、なぜ米の値段が上がり続け、こんなに生活が苦しいのか。女性たちは、米が他の地域に運び出されるために米価が上がるのだと考えました。
そこで、米商人に、「米をよそ(他県)へやらんといてくれ」を要求しましたが聞き入れられません。そのため、数百人の女性たちが、実力で米の船積みを中止させ、安売りを求めて米屋に押しかけました。
中略
8月、富山県の女性たちの行動が新聞で報道されると、米の安売りを求める運動が広がる様子が続けて記載されています。
名古屋では、舞鶴公園に誰がよびかけたわけでもないのに多い日では5万人が集まった。その多くは労働者や職人で、安売りを求めて米屋に向かい、警官隊と激しく衝突し、軍隊も出動した。
このような民衆の動きは、名古屋だけでなく、大阪・神戸・京都・東京・横浜など全国に広がりました(米騒動)。
政府は新聞に米騒動の記事を書くことを禁止し、のべ10万人の軍隊を各地に出動させました。植民地だった朝鮮でも、米騒動が起こっています。
9月、米騒動の責任を問われ、寺内正毅内閣は退陣しました。
*欄外には名古屋での米騒動の絵と米価・物価・賃金のグラフ、ある工場労働者の1ヵ月の家計簿が載っています。
学び舎の教科書では米騒動に関して1ページ強を使って説明していますが、何故富山県から起きたのか、それがどのくらいの期間で全国にひろまっていったのかが非常によくわかります。
7月に富山で起きて9月には内閣が退陣しているのは驚きです。また現在のようにネットがない時代に名古屋で5万人の人を集めたというのも驚愕です。確か今年の憲法記念日に安保法制反対で有明に集まった人々が5万5千人だったと思います。
歴史上の出来事は必ず原因と結果があるのでに点ではなく線で理解しろと話すのですが、学び舎の教科書はその点についてはよくできていると思います。
生徒が興味をもてるようにつくられていると感じました。